高見山親方の現在2026|外国出身初優勝と曙を育てた伝説の真実
昭和から平成の大相撲界を大きく揺るがし、屈託のない笑顔と「ジェシー」の愛称で日本中を魅了した元関脇・高見山(初代東関親方)。外国出身力士として初めて幕内最高優勝を果たし、アメリカ出身の横綱・曙を育て上げるなど、角界のグローバル化を切り拓いたパイオニアです。
現役引退から東関部屋の創設、そして定年退職を経て、80代を迎えた元高見山親方は現在どのように暮らしているのでしょうか。角界に刻んだ不滅の功績や、今なお語り継がれるエピソードの真相、愛弟子・曙太郎との絆を詳しく紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:高見山親方は80代を迎えた現在も家族に囲まれ、相撲界を温かく見守りながら穏やかなシニアライフを送っている
- 要点2:外国出身力士初の幕内最高優勝、日本国籍取得、外国出身者初の部屋創設(東関部屋)という前人未到の歴史を築いた
- 要点3:第64代横綱・曙や元小結・高見盛など多彩な弟子を育成し、その情熱と開拓者精神は現代の大相撲に息づいている
【現在の様子】80代を迎えた高見山親方の今と穏やかな生活
2009年6月に日本相撲協会の定年(65歳)を迎えて以降、表舞台への露出は控えめになっているものの、元高見山親方(本名:渡辺大五郎)は元気に日々を過ごしています。1944年6月生まれの親方は80代を迎え、現在は家族との時間を大切にしながら、静かで満ち足りた余生を送っています。
現役時代に通算1430回という驚異的な連続出場記録を誇った頑丈な肉体も、年齢とともに足腰への負担は見られるものの、持ち前の明るい人柄とユーモアは健在です。自宅で大相撲中継を熱心に観戦し、現代の力士たちの取組に目を細める姿が伝えられています。
2024年春に愛弟子の元横綱・曙太郎氏が54歳の若さで旅立った際には、深い悲しみを抱えながらも、かつて苦楽を共にした日々への感謝を言葉に滲ませていました。昭和・平成を駆け抜けた巨星は、角界の行く末を今も優しい眼差しで見守り続けています。
【伝説の幕開け】外国出身力士初の幕内最高優勝と日本相撲界への衝撃
ハワイ・マウイ島出身の青年ジェシー・クハウルアが、高砂部屋の門を叩いたのは1964年(昭和39年)のことでした。言葉や文化、厳しい稽古の壁を乗り越え、1968年に新入幕を果たします。
歴史が大きく動いたのは1972年(昭和47年)7月場所でした。西前頭4枚目の位置で初日から快進撃を続け、13勝2敗の好成績で見事に幕内最高優勝を達成。外国出身力士として史上初となる賜杯を抱いた瞬間は、国内外に大きな衝撃を与えました。
表彰式では、当時のアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンから送られた祝電が土俵上で読み上げられ、蔵前国技館は割れんばかりの歓声に包まれました。太いもみあげと巨体、独特のハスキーボイスで土俵を沸かせた高見山は、瞬く間に国民的人気力士へと登り詰めました。
【CMでも大ブーム】丸八真綿「2倍、2倍!」と愛された国民的キャラクター
高見山親方の魅力は、土俵上の強さだけにとどまりませんでした。親しみやすい人柄と愛嬌のあるリアクションはお茶の間の心を掴み、昭和のテレビカルチャーを彩る存在となります。
とりわけ社会現象となったのが、寝具メーカー「丸八真綿」のテレビCMです。指を立てて「2倍、2倍!」「5山、5山!」とハスキーな声で叫ぶ姿は子どもから大人まで大流行し、CM好感度ランキングでも上位の常連となりました。
喉の負傷によってかすれ声になったという過去の困難すらも自身の個性へと昇華させ、どんな場面でも笑顔を絶やさないプロ意識の高さは、多くの日本人に深い親近感を与え続けました。
【帰化と部屋創設】日本国籍取得の背景と東関部屋を立ち上げた開拓者精神
相撲界で指導者として生きる決意を固めた高見山は、1980年(昭和55年)に日本国籍を取得し、渡辺大五郎と改名しました。当時の大相撲界では外国出身者が親方になる前例がなく、帰化は簡単な決断ではありませんでしたが、「相撲に恩返しをしたい」「日本の伝統を次の世代へ伝えたい」という純粋な情熱が後押しとなりました。
1984年の現役引退後、12代東関を襲名。そして1986年(昭和61年)、東京都墨田区に「東関部屋」を創設します。外国出身力士が師匠として独立し部屋を持つのは相撲史上初の快挙であり、相撲界の国際化に向けた大きな一歩となりました。
【曙との深い絆】初のアメリカ出身横綱を誕生させた師弟関係と秘話
東関親方としての最大の功績は、同じハワイ出身の若者・チャド・ローワン(後の第64代横綱・曙太郎)を見出し、頂点へと導いたことです。
親方は曙に対し、言葉の通じる同郷だからこそ甘えを一切許さず、日本古来の礼儀作法や相撲道を厳格に叩き込みました。猛稽古に耐えかねて脱走を図ろうとした曙を親身に説得し、二人三脚で歩み続けたエピソードは今も語り草です。
1993年、曙は外国出身力士として史上初の横綱に昇進。土俵下で見守る東関親方の目には涙が光っていました。厳しい指導の裏にあった深い愛情は、言葉や文化の違いを超えた本物の師弟関係を証明しました。
【部屋の継承と閉鎖】東関部屋の歩みと今に受け継がれる高見山イズム
東関部屋からは横綱・曙のほかにも、土俵上でのユニークな気合入れで国民的人気を博した元小結・高見盛(現・音羽山親方ではなく八角部屋付きの東関親方などを経て指導)や、堅実な取り口で幕内を務めた潮丸など、多くの個性派力士が育ちました。
2009年に高見山親方が定年退職を迎えた後は、愛弟子の潮丸が13代東関を襲名して部屋を継承。しかし2019年、13代東関が41歳の若さで急逝する悲劇に見舞われます。その後、元高見盛が14代東関を襲名して部屋を支えましたが、諸般の事情から2021年4月に東関部屋は閉鎖され、八角部屋へと統合されました。
部屋の看板は一度幕を下ろしたものの、高見山が蒔いた「相撲へのひたむきな敬意」と「弟子を家族のように育てる温かさ」は、今も形を変えて角界に脈々と息づいています。
【高見山 親方】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高見山親方の現在の年齢と健康状態は?
A1:1944年6月16日生まれで、80代を迎えています。高齢のため公の場に出る機会は減っていますが、自宅で大相撲中継を楽しみながら穏やかに暮らしています。
Q2:外国出身力士として初めて幕内優勝したのはいつですか?
A2:1972年(昭和47年)7月場所(名古屋場所)です。西前頭4枚目で13勝2敗の成績を収め、外国出身力士として史上初の幕内最高優勝を果たしました。
Q3:なぜ東関部屋は閉鎖されてしまったのですか?
A3:高見山親方の定年後に部屋を継いだ13代東関(元幕内・潮丸)が2019年に急逝。その後、元高見盛が14代東関を襲名しましたが、施設運営や後進育成の環境を考慮した結果、2021年4月に八角部屋へ統合される形で閉鎖となりました。
まとめ:開拓者・高見山大五郎が相撲史に残した不滅の足跡
ハワイから単身日本へ渡り、言葉や文化の違いを乗り越えて相撲史にその名を刻んだ高見山大五郎。外国出身力士初の幕内最高優勝、部屋創設、そして曙を横綱へと育て上げた偉業は、大相撲の可能性を世界へと広げました。
土俵で見せた不屈の闘志と、土俵外で見せた飾らない笑顔は、今も多くの人々の記憶に鮮やかに残っています。相撲を愛し、日本を愛し続けた名横綱の師匠・高見山の軌跡は、これからも色あせることのない伝説として語り継がれていきます。 (出典: 高見山 親方(Yahoo!ニュース))